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8話. 夫と、どんなお話を?

Author: 6jay
last update publish date: 2026-09-24 23:25:30

紗月は鏡の前で、目元をタオルで押さえた。怜司もドアへ顔を向けた。

女が2人を見比べていた。

開いたドアから身を乗り出しているのは、鮮やかなネオンピンクのピラティスウェア。

濃いアイメイク。鼻を刺す人工的なバニラの香り。そして、見せつけるように露わにした細い腰。

白石沙耶だった。

ドアにもたれ、怜司へ媚びた笑みを向ける。

「午前のレッスン、空いてるって聞きましたよ? このあと、VIPのストレッチルームを少し借りたくて……」

言い終える前に、怜司の後ろにいる紗月が目に入った。

濃く縁取られた目が揺れ、表情がわずかに固まる。

鏡の前で背筋を伸ばす紗月の体には、落ち着いた品のよさがあった。

昨夜、雅人がベッドで『子どもを産んで体が崩れたおばさん』とこき下ろしていた、その妻なのだと、沙耶は直感した。

けれど、目の前の紗月は、聞いていたようなみすぼらしい女でも、おどおどした女でもなかった。

手術や美容施術では作れない生まれつきの気品と、確かな存在感が、部屋の空気を涼しく支配していた。

胸の底から、得体の知れない嫉妬と苛立ちがこみ上げる。

沙耶の口元が、薄い嘲りにゆがんだ。

(高いウェアを着たところで、子持ちのおばさんが独身の体に戻れるわけないでしょ)

わざとらしい歩き方で、部屋へ踏み込んだ。

手首のダイヤモンドのテニスブレスレットが、照明を弾いた。数百万円はする品だった。

会社の初期ブランディングを完成させても、紗月が一円も受け取れなかった仕事の対価。それは今、雅人の法人カードで買われ、不倫相手の手首に巻かれていた。

沙耶は、紗月の鎖骨、腰、骨盤の線を、頭から足先まで眺めた。

下品なほど露骨な品定めであり、敵意を隠さない眼差しだった。

「あら……もしかして、一条社長の奥様ですか?」

よく知る相手にでも話しかけるように、馴れ馴れしく顎を上げる。

「社長、奥様の体形をずいぶん心配していらっしゃいましたよ。来月のガラで着るドレスが入らないとか。会社でもため息ばかりついていらしたから、どんな方なのか気になっていたんです」

言葉の一つひとつに、巧妙な毒があった。

職場で、夫と私的な会話まで交わしている。その親密さをちらつかせながら、妻の体を傷つける。

「ここはVVIPのマンツーマンだと1回3万円でしょう? でも、奥様みたいに硬いお体なら、激しいウエイトより、うちのピラティススタジオで基礎のストレッチから始めたほうが、お金も無駄にならなくて合っていると思いますけど……社長、ちょっと頑張りすぎちゃいましたね」

不倫相手が、妻の目の前で夫を持ち出し、体をけなして金の無駄だと言う。

紗月の拳が白くなった。

昨夜、夫の画面にあった名前。手首で光るブレスレットを見る。

あれも夫が買ったのだろうか。

まだ確かめていない疑いまで押し寄せ、胃の奥がひっくり返りそうだった。6年間かけて育てた会社の金で、この女は贅沢をしている。

数日前の紗月なら、恥ずかしさと戸惑いで顔を赤くし、うつむいていただろう。

けれど、今は違う。

怜司に教わったとおり、下腹に力を入れ、丸まっていた肩を開いた。

胸を上げ、冷静な目で沙耶を見返した。

「白石先生」

低く、涼しい声が出た。

その揺るがない響きに、部屋の空気が冷えた。

「うちのことを、ずいぶん詳しくご存じなんですね。夫とは、そんな話までする間柄なんですか?」

「……え? 奥様、それは言いすぎでは? 私はインストラクターとして、専門的なアドバイスを……」

沙耶の顔色が、目に見えて変わった。

紗月はゆっくり一歩近づき、冷たい笑みを浮かべた。

「アドバイスなら、私の姿勢だけ見てください。夫とどれだけ親しいかを自慢するために、私の体を持ち出さないで。何も知らないと思って、勝手なことを言わないでいただけますか」

沙耶の唇が震えた。

爪が手のひらに食い込んでいるのに気づき、紗月は拳を少し緩めた。

ここで声を荒らげれば、相手も同じように怒鳴るだろう。せっかくつかんだ事実まで、勢いに任せて明かしたくはなかった。

「レッスンの続きを受けます。出ていってください」

沙耶が怜司を見る。

紗月に向けていた目とは違い、助けを求めるその目は、すぐに甘くなった。

おびえるどころか、妻としての品と威圧感で押し返してくる紗月に、息が詰まっていた。

悔しさで顔を赤くした沙耶が、口を開きかけた瞬間。

怜司が、紗月の前へ出た。

188cmの体と、冷え切った眼差し。その大きな影が沙耶の視界を覆った。

「白石さん」

冬の風のように、低く冷たい声だった。

「あなたのレッスンではありません。会員様が、出ていってほしいとおっしゃいました。これ以上、邪魔をしないでください」

まだ呼吸の荒い紗月の耳へ、今度は静かな声が届いた。

「よくおっしゃいました、奥様」

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